跡継ぎこそ、先代とは違うルートを行くべき理由

毎年節分の時に地元の有名なお寺の祭事があり、それほど数は多くないのですが、屋台が出ます。

そこに出る、老夫婦がされているたい焼き屋さんのたい焼きがとても美味しくて、毎年楽しみにして買いに行っていました。

今年も楽しみにしていて、奥さんが買いに行ってくれたのですが、家に帰って奥さんに「(今年も)美味しかった?」と聞くと、なんとも言えない顔をしています。

不思議に思ってテーブルにあったたい焼きを見てみると、いきなり様子が違います。

以前は、竹の皮?みたいなのにくるんでから包装紙に包んでくれたのですが、今回は、たい焼きが紙の箱に入っていました。

思わず「お店間違ってないよね?」と聞いてしまったのですが、どうやら間違いはない様子。

味はどうだった?と聞いてみたら「とりあえず食べてみて」と言われたので、一つ食べてみました。が・・・

一口食べて絶句。去年までの味と比べてあきらかに不味い(;・∀・)

まずおかしいのが、生焼け。どう好意的に見ても、生焼け(;´Д`)

そして、たい焼きの肝心要の「餡」

これが・・・またマズい( ´Д`)=3

去年までは自家製だったのか仕入れていたのかは確かめようがないのですが、スーパーやコンビニで買う饅頭の餡よりも遥かにマズい。

以前は先代の老夫婦がお店をやっていて、息子さん?が手伝う形でお店をしておられたのですが、今年は跡継ぎさんのみでお店をやっておられたそうで、それがこの残念な結果となったようです。

まぁ、ここまで酷いと、もう二度と買いに行くことはないでしょうね。

跡継ぎは、先代という越えられない壁が立ちはだかる

職人さんって、やはり跡継ぎの人が多いんですが、好むと好まざるとにかかわらず、先代(多くは親)と比べられてしまう運命にあります。

先ほどのたい焼き屋さんも、先代の味と比べられてしまってます。

これは同じ道を行くのであれば、仕方がないことです。

でも、跡を継ぐということは、果たして同じ道を行くことなんでしょうか?

人それぞれに考えはあるんでしょうけど、ボクはそうは思わないんです。

通る道や辿り着く場所まで先代と同じである必要はない

そもそも「跡を継ぐ」ということの意味って何でしょうか?

先代のコピーになることですか? 違いますよね?

例え先代が親であり跡継ぎが子であろうと、あなたは貴方。

貴方自身の人生を生きる権利があります。

跡を継ぐということは、仕事を受け継ぐことであり、目指すものやどのような道を辿るかは、先代と同じことをする必要は全く無いんです。

ボクも跡継ぎで、家業の経営は受け継いでいますが、商いのやり方や技術面などでは、自分で考えて自分で努力して自分が目指すものに向かって自分の道を進んでいます。

そうするに至った理由は単純です。

同じ道を通って同じことを目指していたら、ボクはいつまでも親の劣化コピーとしての評価しか得られないと、修行を始めてすぐに気付いたからです。

跡継ぎって先代を越えるのが使命みたいに言われることもありますが、越える必要なんてないんです。

何代目であろうと、自身のやり方で目指す場所に向かって行けば良いと思います。

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心のシミも抜く染み抜き屋|栗田裕史.com

1969年京都生まれ京都育ち。染色補正という裏方の業種の職人でありながら、BtoBからBtoCへ挑戦。全て自力でサイトを作り「なをし屋」という屋号で、表舞台へと出る。 クリーニング師・染色補正士・京友禅伝統工芸士の三種の国家資格を持つ職人。

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